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チュニス旧市街
チュニジア共和国の首都・チュニス(Tunis)は、チュニス湖とその西側にある塩湖との間に位置し、商業・工業の中心地となっているチュニス州の州都でもあります。
1979年にユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された「チュニス旧市街地」は、古代フェニキア人によってカルタゴ近郊に建設された町であり、かつてはヨーロッパとアフリカ交易との中継地として繁栄したイスラム都市です。
その後のチュニスは、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマントルコ帝国に統治され、17世紀頃にレコンキスタ運動が起こると、アンダルシア地方からムーア人が移住してきました。
19世紀以降はフランスの植民地となったため、新市街にはアールヌーボー様式の建物が見られます。
チュニスが独立したのは、第2次世界大戦後の1956年のことで、ようやく外国から支配された歴史は幕を下ろしたのです。
また、巡礼の中継地としてさまざまな人々が訪れ、数々の文化が混ざり合い、独特の雰囲気のある街となっています。
年に一度の「聖なる断食月・ラマダーン」には、アッラーの教えを守って日の出から日没までのあいだ飲食を断ち、民族や国の違いを超えた一体感を確かめ合います。
チュニスの観光名所は、歴史的にも有名な「カルタゴ」、「メディナ」と呼ばれる城壁に囲まれた旧市街地、メディナの入り口となる「フランス門」、宮殿、霊廟、イスラム聖職者学校などです。
「メディナ」の周囲は、交通量も多い発達した現代都市ですが、メディナの内側に足を踏み入れると、そこには、14世紀と変わらない空気が流れています。
1979年にユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された「チュニス旧市街地」は、古代フェニキア人によってカルタゴ近郊に建設された町であり、かつてはヨーロッパとアフリカ交易との中継地として繁栄したイスラム都市です。
その後のチュニスは、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマントルコ帝国に統治され、17世紀頃にレコンキスタ運動が起こると、アンダルシア地方からムーア人が移住してきました。
19世紀以降はフランスの植民地となったため、新市街にはアールヌーボー様式の建物が見られます。
チュニスが独立したのは、第2次世界大戦後の1956年のことで、ようやく外国から支配された歴史は幕を下ろしたのです。
また、巡礼の中継地としてさまざまな人々が訪れ、数々の文化が混ざり合い、独特の雰囲気のある街となっています。
年に一度の「聖なる断食月・ラマダーン」には、アッラーの教えを守って日の出から日没までのあいだ飲食を断ち、民族や国の違いを超えた一体感を確かめ合います。
チュニスの観光名所は、歴史的にも有名な「カルタゴ」、「メディナ」と呼ばれる城壁に囲まれた旧市街地、メディナの入り口となる「フランス門」、宮殿、霊廟、イスラム聖職者学校などです。
「メディナ」の周囲は、交通量も多い発達した現代都市ですが、メディナの内側に足を踏み入れると、そこには、14世紀と変わらない空気が流れています。
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